人間力を磨くレッスン!

※画像はイメージです。

私はアメリカの通信社に就職してから、社の留学制度を利用して日本の大学で勉強し、その後日本の新聞社に転職しました。
記者の仕事には、「また聞きの社会学」といった面があります。それは記者が自分で見たり考えたりするものには限界がありますから、どうしても他の人の体験や研究の成果を聞いて、それに自分の勉強したことを加え、わかりやすい形で読者に伝えるという仕事のスタイルになるからです。

アメリカにいた頃、マスコミの記者たちは、「ランチョン・デイト(お昼ごはんの約束)の数が記者の優劣を決める」とか、「パーティーに呼んだり呼ばれたりしないような記者の記事は、厚みも面白みもない」と言っていました。これは、異業種の人とよい人間関係を作れないような記者に、いい仕事はできないという意味で、先輩方はベテランになっても、まるで新人記者のように相手の言うことに熱心に耳を傾け、学生のようにひたむきに質問をし、その経験を仕事に活かしていました。これに比べ、日本の企業に勤めていると、ややもすると四六時中会っている仲間と「打ち合せ」と称しては食べ、「打ち上げ」といっては飲む、ことの連続になり、会食をしていて「目からウロコが落ちる」ということがほとんどないのです。下手すると、話し合うことが、「偏見、誤解の二乗、三乗」を生むことになりかねないと思うことも度々あります。 国際化が進む中で、いま日本人に必要なのは、異質な人と知的に対話できる能力を育て、バランスのとれた人間力を磨くことだと思います。

外界との接触をおっくうがらずに人と会って話をすることで、絶えず知的蓄積を増やそうと努力することです。 日本に暮らしながらこの能力を身につけるのは、「木に縁りて魚を求む」に近いことだと思いますが、私は『仕事のプロ養成講座』でこの能力を磨きました。特に、上級コースの「リポートの仕方」で教わった創造的な対話術には、初めて会った人と充実したいい時間を過ごすためのノウハウがぎっしり詰まっていました。 ぜひあなたもこの講座を受講して対話術を身につけ、社会人としての信頼を勝ち得て、仕事の幅を広げてください。

「自己分析ができた!」と軽いノリで言うけれど…

一冊の本で、又は集団授業の中で、あなたが生きてきた人生を「分析する」ことが本当にできるのでしょうか?「自分を分析する」って、どういう意味だとあなたは思いますか?私は、この世でいちばんの難題は何か、と問われたら躊躇なく「私自身を知ること」と答えます。私は放送記者として8年働いてきましたので、テレビの取材なら要領はだいたいわかります。殺人事件、火事、裁判など。
ところが、自分自身を取材してみると、これが難しい。なぜか。それは自分が空っぽだからです。私は私自身を取材して、自分の中に取材すべき何物もないことに気づき慄然としました。
本当は、自分自身を取材する前に、自分の中に、取材すべき何かを育てなければならないのですが、これがなんと難しいことか。それだけではありません。仮に自分の中に語るべき何かが育ったとしても、今度はそれを表現することが容易ではない。なぜなら、自分の内部の心象は、火事で何平方メートル焼けたか、などということをはっきりさせるのとは違って、およそ、曖昧摸糊としているからです。つまり「私」を語るための取材、表現技術は、その難しさにおいて、とうていマスコミ報道の比ではないのです。

私は大学2年からこの講座に通い、今も参加しています。それは放送記者という仕事が、自分の人生の色に染まった「私のことば」を視聴者の前にさらす仕事だからです。自分の「ことば」を常に磨き育てることで私自身の中身を充実させないと、人に納得してもらえる話ができないと考えるからなのです。

今まで、私を本気で叱ってくれる大人がいなかった!

大学三年の秋がきた。私は「このままで本当に社会人になれるのだろうか」と不安だった。理由は、今まで私なりに、大人の世界ときちんと向き合ってきたという自信がなかったからだ。
そんな気持ちで、面接講座に参加した。私と講師が一対一で向き合う、私のための勉強会だ。レッスンが始まった。私の目の前に、キー局のアナウンサーが五輪の取材をした時の文章が置かれた。講師が言った。「面接で、これを読まされ、感想を聞かれたらどう答えますか」。私はいきなり就職試験の世界に引き込まれた。これまで私が、人の言葉とどのように向き合ってきたのかが試されている。私は素直に読んで感想を言った。すると講師が気迫を込めて言った。「あなたはこの文章を読んで、本当に理解できたのですか?」。その後、私は初めて「ことば」との向き合い方を教わった。
私には仲間内でのコミュニーケーションの仕方が染みついている。友人の話を聞きながら、「へぇー、そうなんだ。すごーい。ほんとー」と言い、自分勝手に解釈しながら分かったつもりになる。本気で聞いていないから質問もしない。そんな私の「人との向き合い方」が、この一問でバレてしまった。すごく恥ずかしかった。
でもでも私はめげない。自分を叱ってくれる大人に出会い、自分自身を客観的に見つめなおすことから就職準備は始まるのだと思う。

就職試験の準備をもっと早く始めておけばよかった!

カラのペットボトルは、いくら逆さに振ってもジュースが出てこない。今の私はこれと同じだなぁと感じている。
私は2週間前から「面接講座」に通いだした。基礎コースの授業の1コマを紹介する。新聞記者が、キー局のアナウンス部長にインタビューをしてまとめた記事がある。講師が言う。「この記事を読んで、記者が現場でどのような質問をしたのか読み取りなさい」。つまり記事が完成するまでの取材過程を読み取れというのだ。
私はこれまで、新聞の記事はすべて完璧なものだと思って読んできた。しかしこのレッスンを受けた後に新聞を読んでみると、「ねらい」をはずしている記事があったり、インタビューなのに記者が明確に目的を把握していないせいか、質問が整理されてなかったのがはっきりわかる記事があることに気がついた。新聞記者の言葉と、どう向き合ったらよいのかを教わった。
私はふと考えた。喫茶店で友人とおしゃべりをする。この時、私も友人も、ただしゃべりたいことをしゃべっているだけだ。「なぜ私は、この友人の話を聞いているのだろう」と考えたり、その場の目的(テーマ)を明確にして対話をしたことがなかった。もっとその友人でなければ言えない話を引き出す努力をしたり、相手の考えや人間性をより理解しようと努力していたら、友人との会話を通して、私はもっともっと豊かな内面を育ててこられたのだろう。
相手を読みとる力が、私の「思う力」「考える力」を育ててくれる。そしてそこから、「表現力」が生まれてくる。時間はかかるかもしれないが、カラのペットボトルにジュースを蓄えなければならない。私の就職準備は、いま始まったばかりだ。

両親面接・志望理由書対策講座

教育とは、幼稚園や学校がするもの、してくれるもの、と頭から決めてかかっていました。しかし、実は子どもの成長にとって大切なこと、そして生きるために必要な知恵は、小学校に入る前に、親が教えなければならなかったのですね。
子どもの小学校受験を意識するようになって、主人が緊張するタイプでしたので、早めに面接練習をする必要を感じて、この講座に申し込みました。
ところが、この講座で勉強するうちに、つけ焼刃の試験対策には意味がなく、
子どもの将来を考えた上での「家庭教育」がいかに大切なのかを教わりました。
志望理由書の内容も、面接で話すことも、妙な受験テクニックはいりませんでした。
毎日、私と主人が、子どもとどう向き合ってきたのか、その様子を文章にし、話すだけでよかったのです。
子どもに勉強させる前に、親がもっともっと勉強することが必要なのだと教わりました。